1月28日に放送された『西郷どん』
薩摩藩藩主を座を巡り、島津親子の島津斉興と島津斉彬がロシアンルーレットで勝負するという度肝を抜く展開でした。
このロシアンルーレット、
「多分フィクションだよね!?」
とは思いつつ、気になったので調べました。
西郷どん島津親子がロシアンルーレット
今回の西郷どんの何が良かったってロシアンルーレットの後にお由羅が斉彬目掛けて放った1発が当たりだったってところ。降りずにもし引き金を弾いていたら父上死んでた。 #西郷どん pic.twitter.com/8IGW5N0xU5
— 桜弓正和(演出:神山正和) (@kamitosayu) 2018年1月28日
『お由羅騒動』から、斉彬派の人間が多く切腹や島流しなどの刑を受けました。
この実情を西郷どんは江戸の斉彬宛ての手紙で伝え、これが斉彬の背中を押すこととなります。
老中・阿部正弘の調停により、斉興は隠居を勧められ…。
その後、相まみえた島津親子。
父である斉興から
「わしはお前が好かん」
と言われ、プツンと何かが切れた斉彬。
「天の声を聞きましょう」
と言ってけん銃に玉を一つこめ、こめかみに銃口を向け、ロシアンルーレット開始。
斉彬は覚悟を決めて引き金を引きます。
不発だったけん銃は父・斉興へ。
斉興は、一度は銃口を向けるも、引き金を引くことはできませんでした。
島津斉興と斉彬の不仲は本当
この『お由羅騒動』は史実であり、斉興の跡継ぎをめぐり、斉彬派と久光派でもめています。
その後、老中・阿部正弘の調停で斉興の隠居が決まり、斉彬が島津の家督を継ぎます。
斉興はお由羅との間に生まれた久光を溺愛し、嫡男である斉彬ではなく、久光を後継者として推していた事を考えれば、やはり斉興と斉彬の仲は良くなかったのでしょう。
ロシアンルーレットは演出の可能性が高い
斉興が老中・阿部正弘より隠居することとなった事は事実です。
しかし、ロシアンルーレットはおそらくフィクション、脚本上での演出でしょう。
ただの推測では納得できないので、ロシアンルーレットの歴史について少し調べました。
ロシアンルーレットは、1917年ごろのロシア革命時にルーマニアに駐屯していたロシア帝国軍で、全てを失ったと感じた軍人達が自暴自棄になって始めたゲーム。
引用:ウィキペディア
一方で、
嘉永4年(1851年)2月、老中・阿部正弘の調停により、斉興は隠居し、斉彬が家督を継ぐ事となったのである。
引用:ウィキペディア
つまり、この島津家のお家騒動は、ロシアンルーレットが出来たと言われる年より前に起こった出来事となります。
この事から考えて、さすがにロシアンルーレットで藩主の座を決めるという事はなかったと言えるでしょう。
フィクションとは言え、斉興演じる鹿賀丈史さんと、斉彬演じる渡辺謙さんの迫真の演技は見ごたえありました。
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